鮎帰橋は大瀬橋から県道798号線を約750m北上、左折したところ下横山川に架かる石造りアーチ橋です。先ず上流まで行って下ってきました。
架橋は、洗玉橋架橋の大任を果した、石工、萩本宇作、橋本八十松により、明治38年8月22日に、これまでの欄干無しの木橋に代わり、洗玉橋の姉妹橋として架けられました。
架橋に使用されている石材は凝灰岩で、轟石(生駒野石)と云われています。
架橋以来約49年後の昭和29年に黒岩橋(宇重ノ尾の現在地)が架橋されるまでは、この付近には、飛石だけで橋は全く無かったそうです。
木橋の鮎帰橋が、当時の人々の生活の便を支えて行くうえに、如何に大切な橋であったかが分かります。戦後益々車の時代となり、それに対応する為コンクリートの拡幅工事が行われ、昭和47年3月に再建された橋は、長さ13.2m、幅員4.15mとなりましたが、伴い旧橋の姿は不明となり、川に下りてアーチの部分が、辛うじて見えるだけになりました。度重なる水害、特に大正10年、昭和28年の大洪水にもよく耐えて、架橋以来現在まで充分にその使命を果たしていると云えます。(上陽町教育委員会看板参照)
この後、今日の宿泊地「山鹿」に向かう途中で時間の許す範囲で、幾つかの橋を探します。
71、鮎帰(あゆかえり)橋 (福岡県八女市上陽町黒岩)
橋長:12.8メートル
橋幅: 2.6メートル
架橋:明治38年(1905)
川名:下横山川
石工:橋本八十松、萩本宇作
Photo:RIVHOT Works / 11th Nov, 2019
橋の両側は、コンクリートで拡幅され、石積みアーチの部分は辛うじて見えるだけになった。
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