明治初期、当時の県令(知事)だった三島通庸が土木建設事業に力を入れたことから山形県内にも多くの石橋が建設されました。三島は薩摩出身だったことから、石橋建設の技術を持つ九州の職人が招聘され、山形県内の石橋の建設と技術指導を行ったようです。今も南陽、上山に残る吉田橋、堅磐橋や楢下の覗橋、新橋など多くの石橋を架橋しました。それら道路用橋の技術は県内の寺社境内の参道にも取り入れられることとなってゆきました。
光禅寺は山形市鉄砲町2丁目にある寺で、400年ほど前に山形城主最上義光が設けたといわれています。
136、光禅寺の太鼓橋
架橋:明治12年(1879)「境内の滝から池へと続く流水に架かる参道の橋です」
Photo:RIVHOT
Works /15th July 2010
0 件のコメント:
コメントを投稿