2020年1月31日金曜日

19、若宮井路 笹無田石拱橋

若宮井路 笹無田石拱橋は、平成26年11月17日に訪ねました。

九州の石橋散策は3回目、自宅を出たのは11月15日、その日は因島のホテルに3時ごろに着き投宿、翌日道後温泉で汗を流したあと八幡浜三崎港からその日のフェリーで大分へ渡り投宿、そして3日目から石橋を廻りました。大分県竹田市で寄ったのが、この橋です。

この橋は大正4年に、朝地町の田畑へ水を送るための灌漑用水路として架橋されました。その後、大正6年に修復再建されました。

若宮井路 笹無田石拱橋 (わかみやいろささむたせっこうきょう) 「大分県竹田市」

橋長:59メートル
橋幅: 4メートル
架橋:大正6年(1917) 2連石造りアーチ橋
川名:笹無田川

 
橋は笹無田川の高いところに架かっています。
 
並行して「豊肥本線」その奥に442号線が走っています  (2020.8.7修復)
 
橋の上は水路です。

水路(橋)と並行して走る豊肥本線(朝地駅~豊後高田駅間)

 

2020年1月30日木曜日

18、覗橋 のぞきばし

平成22年7月、山形県河北地域の紅花の開花時期に合わせて、酒田の庄内竿と山形に残る石橋の見学を思いつき3日間の予定で尋ねました。15日に仙台でレンタカーを借りて県内を廻り、最終日に訪ねたのが上山市の楢下宿でした。今回は先日紹介「1、新橋」の200メートル程下流の「覗橋」です。

架橋は新橋より2年後1882年の架橋です。

覗橋 山形県上山市楢下

橋長:10.8メートル
橋幅: 3.5メートル
架橋:明治15年(1882)
川名:金山川
石材:大門石

 

 
 

 


2020年1月29日水曜日

17、轟木橋

平成24年(2012)5月3日、この日は豊後大野(三重・清川・犬飼・野津・柴北)地区の石橋を巡り南阿蘇まで向かいます。
三重地区R45線沿いに流れる「中津無礼川」には、いくつもの石橋が架かっており、橋の名の看板が立てられています。今回の轟木橋は比較的新しく、昭和に入って作られた、それでも100年、現役の石橋です。前に轟橋を取り上げていますが、別の橋です。

轟木橋 2連石造りアーチ橋
 
橋長:38.5メートル
橋幅: 3.3メートル
架橋:昭和4年(1929)
川名:中津無礼川
石工:井上為吉

 
 
 
 

2020年1月28日火曜日

16、御沓橋

この時は、初めての九州石橋巡りの旅です。

山陰経由で、松江~石見~津和野~湯田~萩などを一般道で廻り九州に入ったのが5日目、熊本などを廻った後、最終日の10日目に院内につきました。

平成22年(2010)11月22日、この日は福岡を立って、安心院から院内に入りました。

夕方に大分発のフェリーで帰るので、丸一日院内を巡ります。

院内の橋は比較的新しいモダンな橋が多く、この後何度も足を運ぶことになります。

16、御沓橋 (みくつばし) 3連石造りアーチ橋

橋長:59メートル
橋幅: 4.55メートル
架橋:大正14年(1925)
川名:恵良川
石工:松田新之助

 
平成28年11月19日 3回目の訪問です。


 

2020年1月27日月曜日

15、穿岩橋 ほげいわばし

平成24年5月23日に訪ねたのは、大分県豊後大野市三重の穿岩橋です。
佐伯のホテルを8時10分に出発、野津・大野などの橋を巡り着いたのが、中津無礼川のこの橋です。

穿岩は(ほげいわ)と読みます。ほげとは、九州の方言で穴が空く、「虫歯がほげる」などと使うようです。橋の近くに、大きな穴が空いた岸壁がありこの名が付いたようです。

穿岩橋(ほげいわばし) 大分県豊後大野市三重町中津留

橋長:21.7メートル
橋幅: 3.5メートル
架橋:大正15年(1926)
川名:中津無礼川

 


新しい橋が並行して架かっています。


 


2020年1月26日日曜日

14、祗園橋 ぎおんばし

長崎のホテルに連泊し、昨日は市内の石橋を見学、夕飯を兼ね居酒屋で「うちわエビ」なるものを頂きました。

平成28年11月25日8時にホテルを出発、今日は天草を廻って八代まで行きます。

今回紹介する橋は、石造りの桁橋です。

祗園橋 熊本県天草

構造:10径間桁橋
橋長:28.6メートル
橋幅: 3.3メートル
架橋:天保3年(1832) 190年の歴史があります。
川名:町山口川
石工:石屋辰右衛門
建設発起人:大谷健之助

橋の前に「祇園社」があることから名付けられたらしい。橋の中に橋げたを9列並べて立て、そのうえに石の板を並べてあります。今まで見た桁橋では一番大きい橋です。

町山口川の祗園橋、対岸に「祇園社」

橋を渡ります。橋面は細長い石が並んでいます。
 
渡り切ると、前に「祇園社」

社から見た祇園橋

 

 


2020年1月25日土曜日

13、西田橋

昨日は、志布志を出発市内の石橋を見学後、桜島を経由し夕方鹿児島市内のホテルに泊まりました。

平成26年(2014)11月21日、車の車高が高すぎてガレージに入らず屋外に止めていたら!!
8時15分に出発、先ずは市内の石橋公園を訪ねました。平成5年(1993)の水害後甲突川の改修に併せ平成11年に、今の石橋公園に移築されました。

かつて市内を流れる甲突川(こうづきがわ)には、「五石橋」と呼ばれる五つの橋が架かっていましたが、それを代表する4連の石造りアーチ橋が「西田橋」です。江戸時代、鶴丸城から九州街道へ至る島津家参勤交代の道筋にあたり、城下の玄関口としての役割を担った大切な橋で、篤姫も利用した橋として知られます。

屋外に駐車した車は、一晩でご覧のように「桜島」の噴煙で洗車しなければなりません。

西田橋
 
 
 
 



2020年1月24日金曜日

12、汐止橋

千葉県にも幾つか石橋があります。昨年(令和元年)、この地は台風の甚大な被害がありました。

訪ねたのは、平成26年(2014)12月30日鋸南町にある「汐止橋」です。
この橋の特徴は、輪石が4重に積まれており、壁石が輪石に向かって斜めに斜めに積まれた布積みです。以前は藪に覆われてここまで見ることが出来なかったのですが、現在は整備されて河原まで降りることが出来ます。
 
12、汐止橋
 
橋長:13.4メートル
橋幅: 3.5メートル
仮設:明治28年(1895)
川名:元名川
 
 整備されて河原まで降りることが出来ます。
 
 
 
輪石は4重に積まれていました。 
 
布積みの壁石は、輪石に向かって斜め積み
 
この地は温暖で、12月から水仙まつりが始まります。
 
 
 

2020年1月23日木曜日

11、黒岩橋

令和元年9月11日、八女市のホテルを8時に出て、朝から上陽町の石橋見た後、山鹿に移動の途中で、この「黒岩橋」を訪ねました。

黒岩橋は、石造りアーチ橋で八女市から熊本県山鹿市に向かう3号線に並行して流れる辺春(へばる)川に架かる橋です。立花町教育委員会の看板によると、この辺春川には33の石橋がかかっていたが現在17の橋が残っているそうです。(平成10年3月時点)その中でも一番大きい石橋だそうです。

黒岩橋(くろいわばし)

橋長:10.3メートル
橋幅: 1.8メートル
架橋:明治25年(1892)
川名:辺春川
石工:橋本勘五郎(丈八)

雰囲気のある橋で私は好きですネ
 
明治25年架橋との事ですから、さほど古く無い、130年位です。
 
 
 
 

2020年1月22日水曜日

10、恒吉太鼓橋

この橋は、平成26年(2014)11月20日に訪れました。
前日は、鹿児島県志布志市のホテルに泊まり、朝から山の中をあちこち走廻り幾つかの石橋を巡った後、目印の郵便局を探してやっとたどり着いた橋です。

鹿児島県内で残る最古級の石造りアーチ橋と云われていましたが、訪れた2年後の2016年9月の台風16号で残念ながら流失してしまったそうです。およそ230年の寿命でした。


恒吉太鼓橋

橋長:15.5メートル
橋幅: 2.8メートル
架橋:寛政2年(1790)~2016
川名:長江川

マムシ注意の看板がありました。
 
訪れたのは11月、皇帝ダリアが満開でした。
 
 
 

2020年1月21日火曜日

9、三見の眼鏡橋

九州の石橋巡りは、平成22年(2010)から始めましたので11年目になります。その間九州以外の、山形・静岡・石川・神奈川・東京・島根・山口・・・などの石橋も訪ねるようになりました。
さて、昨年9月には福岡・熊本・佐賀地域などを巡り、帰りに山口県萩市の「三見の石橋」を訪ねましたので紹介します。
明治維新後の近代化に向け下関から益田方面への街道整備の一環として、明治26年に土橋が架けられ、その後大正4年に現在の石造りアーチ橋に架け変えられました。昭和になり道路は2級国道となり、さらに並行して191号線が走ることになったので、この3km程の区間は旧道として残されており現在は交通量はほとんどないようです。
道の傍らの公衆便所には、「アマガエル」が番をしており、手洗いは湧き水をひいていました。

三見(さんみ)の眼鏡橋

橋長:21.4メートル
橋幅: 3.4メートル
架橋:大正4年(1914)
川名:三見川

 
 
 
 
トイレ番(ドアの引手にいます)
 
 
用が済んだらこの手水場で手を洗ってネ

2020年1月20日月曜日

8、下鶴眼鏡橋

平成24年(2012)5月25日、この日は御船地区の緑川を中心に石橋を探して廻りましたが、この地域は熊本地震の被害が大きかった場所で、震災後2回行きましたが、通行止めがあり、まだこの地区には入っていません。

下鶴眼鏡橋は東京の「浅草橋」「江戸橋」(撤去)を架橋した、石工 橋本勘五郎が手掛けた橋です。熊本方面から宮崎に通ずる主要道路の大事な橋として利用されていましたが、老朽化に伴い現在は並行して新しい橋が架けられ、今は文化財として残されています。

因みに、皇居の「二重橋」は眼鏡橋ではなく、奥の高いところに見える橋のことで、記念写真をよく撮る、二連の石造りの眼鏡橋の名前は「皇居の眼鏡橋」です。

また、平成28年に八代市東陽村の石橋博物館「石匠館」を訪ねたときには、橋本勘五郎の子孫幸一さんが畑で生姜の収穫中のところ、快く対応していただき勘五郎の墓参りもさせていただき、帰りにはたくさんの生姜を土産に頂いたのを思い出しました。

下鶴眼鏡橋

架橋:明治19年(1886)
橋長:24.9メートル
橋幅: 5.65メートル
石工:橋本勘五郎、弥熊親子
川名:八瀬川

 


これは「トックリ」
 
 
 
橋本勘五郎さんの墓(合掌)
 
お土産(生姜)まで頂いて(感謝)
 
 
 

 



2020年1月18日土曜日

7、轟橋

平成24年(2012)5月24日、大分県豊後大野市清川町の奥嶽川に架かる「轟橋」は、昨日紹介の「出合橋」の数百メートル上流に架かる2連の石造りアーチ橋です。
 
この橋は、木材の運搬用に地元営林署により林道軌道橋として架けられた橋で、トロッコにより木材の運搬に使われていたそうです。
 
轟橋
 
架橋:昭和9年(1934)
橋長:68.5メートル
橋幅: 2.5メートル
 
 
 
 
 
「出合橋」からの景観
 
 

2020年1月17日金曜日

6、出合橋

平成24年(2012)5月24日、昨日紹介の二俣橋と前後しますが、その前日に回っています。

「出合橋」大分県豊後大野市清川町左右知地区の奥嶽川に架かる石造りアーチ橋です。

出合橋

架橋:大正14年(1925)
橋長:39メートル(32.3メートルの記録もある)
橋幅: 3.9メートル
石工:轟・平石地区の農民などによって架けられたそうです。

 
 
 
この橋の上流に並行して架けられた「轟橋」を明日紹介します。
 
 

2020年1月16日木曜日

5、二俣橋

平成24年(2012)5月25日に訪ねたのは二俣橋です。熊本県山都町にある緑川支流の津留川と釈迦院川の合流点に架かる「二俣渡」と「二俣福良渡」です。この橋には以前に一度訪れています。

この二つの橋は、二つの川にほぼ直角に架けられており、その仕様はほぼ同じだそうです。


二俣福良渡眼鏡橋

架橋:文政13年(1830)
橋長:27メートル
橋幅: 2.5メートル
石工:種山の嘉八(橋本勘五郎の父)

手前の川が釈迦院川、向こうに流れるのが津留川
 
 右から流れてくるのが釈迦院川その上流には、年祢橋さらに小筵橋が架かる
 
 
手前の欄干が津留川に架かる橋、進むとその先で右にもう一つの橋を渡ります。
 
 

154、菅野尾橋

しばらく、投稿をご無沙汰してしまいました。 平成26年11月17日、昨日は愛媛の佐多岬、三崎港からフェリーで17時頃に大分県の佐賀関港に上陸、大分で泊まりました。 この日は8時10分に大分のホテルを出発、竹田(たけた)市、豊後大野市の石橋を見ながら、8号線を南下、宮崎の高千...