2020年1月15日水曜日

4、諫早(いさはや)の眼鏡橋

平成28年(2016)11月24日(木)
18日に自宅を出発して7日目、昨日長崎に入り今日は諫早の眼鏡橋と長崎市内の石橋を見に行きます

現在「諫早の眼鏡橋」は、諫早市高城町の諫早公園内の池に架かる2連の石造りアーチ橋です。

元は、公園前の本明川架かる生活橋でした。
昭和32年(1839)に起きた大水害で580名の犠牲者が出た原因として、大水にもビクともしない強固な石橋が災いとなり、流れてきた流木・ガレキが橋に溜り流れが変ったため川が決壊し、多くの被害が出たと結論づけられ。川の拡幅に併せ橋の撤去が決まり、今の場所に保存されることになったそうです。

諫早(いさはや)の眼鏡橋

架橋:天保10年(1839)
橋長:49.25メートル
橋幅: 5.5メートル

 
 
 
 

2020年1月13日月曜日

3、堀川橋

平成26年11月19日、宮崎県小林市のホテルを8時頃に出発、えびの市・都城などの石橋をめぐり着いたのが日南市油津、飫肥の堀川橋です。

堀川運河に架かる石造りアーチ橋、運河は江戸初期、飫肥杉の運搬のために作られた人口の運河、橋は油津上町と材木町を渡す橋としての生活のためのほか、吾平津神社(あびらつ)の参道の役目も兼ねています。

映画「男はつらいよシリーズ(寅次郎の青春)」では、風吹ジュン演ずる美容院(理容院)の主人
が、喫茶店で寅さんと出会い、堀川橋のうえでの会話で散髪をすすめられる。

この日は、既に16時を過ぎ、夕焼けを背後にうけながら車を走らせ、明日の石橋探索地、鹿児島県志布志市まで行って投宿とします。

堀川橋

架橋:明治33年(1903)
橋長:33メートル
橋幅: 4メートル

石工:石井文吉

堀川橋


橋の右に吾平津神社の朱色の鳥居が見えます
 
 
手前が神社・風吹ジュンの美容院がある
 
 

2020年1月12日日曜日

2、虹澗橋(こうかんきょう)

虹澗橋は、大分県臼杵市豊後大野の大野川の支流、三重川に架かる石造りのアーチ橋です。
架橋は、文政7年(1824)  ・・・もうすぐ200歳
橋長:31メートル
橋幅: 6.1メートル
現在でも車が通る現役の石橋です。

江戸時代、農民は三重川(当時の名前は柳井瀬川)を越えて臼杵藩に大量の年貢米を納めていたが、ひとたび嵐になると増水した川で多くの命を落とした。土地の3人の豪商が私財を投げ出し、4年を掛けてこの石橋を架橋した。

九州の多くの石橋は、藩ではなく庄屋や農民が自分たちの手で生活のために作ったものです。

豪商:油屋富治、後藤喜十郎、甲斐源助   石工:井沢織平

虹澗橋を訪ねたのは、平成24年(2012)5月23日、前日四国宿毛港からフェリーで臼杵佐伯に渡り投宿、翌朝出発10号線と502号線を走り到着。

虹澗橋


輪石の中間に少し大きい石あるのが「要石」、このブログの副題としている「Key Stone」です。
橋の下にスズメバチの巣があります。

2020年1月11日土曜日

1、新橋

山形県上山市楢下宿(羽州街道)にある、「新橋」は1880年(明治13年)金山川に架橋された、石造りのアーチ橋です。もともと新橋は木の橋で洪水のたびに流失し、その都度の修理や架け変えは大変でした。そこで、地元の住民は洪水でも流れない石橋架設の請願を出しました。その要望を受けた山形県、県令三島通庸は九州の石工を呼び寄せ1880年に橋を完成させた。

三島通庸(みしまみちつね)1835~1888
薩摩出身、山形・福島・栃木の県令(県知事)を経て、5代目警視総監になった人
山形県では、13の石橋があったが、彼が作った吉田橋・堅磐橋・中山橋・新橋・覗橋は今も使われている。確か福島から米沢に抜ける栗子隧道も彼の仕事だったような?30年ほど前、渓流釣りで良く行きましたが、栗子トンネル(一般道)は冬場のチェーンにより、路面にワダチが出来て運転が大変でした。私は運転しませんでしたけどネ。
 
2010年7月17日に訪ねた時の写真です。
 
 
橋は昔のままですが、護岸ができて綺麗になっています。
 
 
 







154、菅野尾橋

しばらく、投稿をご無沙汰してしまいました。 平成26年11月17日、昨日は愛媛の佐多岬、三崎港からフェリーで17時頃に大分県の佐賀関港に上陸、大分で泊まりました。 この日は8時10分に大分のホテルを出発、竹田(たけた)市、豊後大野市の石橋を見ながら、8号線を南下、宮崎の高千...