2020年6月30日火曜日

141、古賀橋

令和元年9月11日、8時5分に八女福島のホテルを出発、上陽町星野川の石橋を見た後、横山川に架かる橋を巡ります。寄口橋を渡り直進、途中三川橋先で、右に804号線と分岐します。川は古塚川となります。左方向道なりに70号線を進むと川は、納又川と名が変わります。2kmほど先に古賀バス停があり、右折10メートルほど先に架かる橋が古賀橋です。
 
141、古賀橋 (福岡県八女市上陽町大字上横山古賀)

橋長:10メートル
橋幅: 3.2メートル
川名:納又川

photoRIVHOT Works /11th Sep, 2019

 



 

2020年6月28日日曜日

140、山口橋

平成281123日佐世保のホテルを820分に出発、今日は世知原(せちばる)の石橋群を訪ね、午後は平戸まで足を延ばし、橋の他に教会も訪ねる予定です。
知原の鎮守である山口神社の脇にあり、北川内川が佐々川へ合流する場所に架かります。神社境内の傍らに「オガタマ」の巨樹があり、それを見た後橋を訪ねました。

川の両側が切り立った崖になっていて、その狭い川幅を利用して架けられており、嘗ては石炭運搬のトロッコ道と考えられていたが、実際はいずみ橋と同じように、炭鉱で働く人たちの道路に利用されたそうです。

40、山口橋 長崎県佐世保市世知原町栗迎山口)

橋長:5.25メートル
橋幅:1.8メートル
架設:大正14(1925)
川名:北川内川(佐々川支流)

photoRIVHOT Works / 23th Nov, 2016


 


 
 
オガタマの巨樹です。「招霊木」とも書き神社やお寺の境内に良く植えられています。日本では関東から西に、更に台湾、中国など温暖な地域に分布し、甘い上品な芳香が特徴です。ここの木は樹高28メートル、根元の幹回り4.8メートルと長崎県で2番目に大きい木です。
 

2020年6月25日木曜日

139、玉江橋

平成26年11月21日、鹿児島のホテルを8時15分に出発、先ず石橋公園に行きましたが、9時開園には早すぎたので外から園内の石橋を見てました。

鹿児島市の中心を流れる甲突川の五石橋(武之橋、高麗橋、西田橋、新上橋、玉江橋)は、薩摩藩家老・調所広郷の財政改革(天保年間)の成功により、城下整備の一環として、肥後(熊本県)から招かれた石工・岩永三五郎によって架橋されました。しかし、平成586日の集中豪雨による洪水で武之橋と新上橋は流失しました。残った3橋は河川改修計画に合わせて、祇園之洲地区に一体的に移設復元し、末長く保存し活用することになりました。玉江橋は五石橋の中では一番上流にあり、最後につくられた4連アーチの石橋でした。城下町郊外で通行量も少ないためか橋幅も一番せまく、また他の石橋に比べると建設費も各段に少なく、造りもやや粗末なことなどから実用橋として利用されていたと考えられます。玉江橋は他の石橋と違い、調査の結果、比較的近年(昭和30年代後半)に至るまで創建時(1849)の形状を留めていたと考えられます。壁石、水切り石、護床敷石等の補修は、ほとんどが昭和30年代後半に集中しています。復元に当たりこれらの改修跡、変状跡については写真や周辺部分、類似部分から推定して創建時の姿に復元しました。


内田康夫原作で浅見光彦が活躍の「黄金の石橋」は、この甲突川の五石橋が舞台のミステリーです。

139、玉江橋 (鹿児島県鹿児島市清水町 石橋記念公園内)

 
橋長:50.74メートル
橋幅: 4メートル
架橋:嘉永2(1849)、その後平成113月現地に移設
石工:岩永三五郎

川名:石橋公園内運河

PhotoROCKY GUM/21th Nov,2014
 


 

 
 

2020年6月23日火曜日

138、聖橋

平成24年5月24日、南阿蘇の休暇村を8時40分に出発、265号線を南下、218号線に入り西へ、今日は緑川流域の石橋を探しながら巡ります。夕方までに福岡に入りたいので14時には高速に乗りたい。途中218号線野尻で笹原川に架かるのが聖橋です。信号を右折し駐車します。

天保3(1832)5月矢部手永で最初に架けられた目鑑橋だそうです。石工棟梁は岩永三五郎です。日向道路として使用されていたが交通量増大の為、すぐ横に鉄骨の今の橋が架けられ、並行して残されている石橋です。
 
138、聖橋 (熊本県山都町(旧矢部町)野尻)

橋幅:5.0m
径間:
19.9m
拱矢:
8.16m
石工:岩永三五郎
川名:笹原川

PhotoRIVHOT Works / 24th May 2012




 

遠くから見ると石橋の上を車が走っているように見えますが、石橋に沿って現橋が架かっています。


 

2020年6月22日月曜日

137、永山橋

平成22年11月18日、8時に「かんぽの宿阿蘇」を出発、今日は福岡まで行きます。途中菊池市~八女市を経由し、八女Icから高速に乗る予定です。石橋を探しながら、やまなみハイウエー・阿蘇スカイラインなどを通って着いたのが菊池市、最初に訪ねた永山橋は、明治11年完成しています。

工事中一度枠組みに失敗して再度やり直したと伝えられています。当時、永山橋は熊本、合志、菊池と小国、豊後との交通上の要路で、この西片4Kmの地点にある日田往還よりの立門橋と共に肥後と豊後の交易の要路上の重要な橋としての意義は大きなものがありました。 使用石材は近くの上崩迫から多くの石工、大工、人夫により切りだされました。

NHKの朝ドラ「いだてん」の初回、主人公の自宅前に架かる石橋が、この永山橋で撮影されました。

137、永山橋 (熊本県菊池市大字原字永山)

橋長:21.14メートル
橋幅: 4.7メートル
架橋:明治11年(1878)
石工:橋本勘五郎
川名:菊池川

PhotoRIVHOT Works / 18th Nov, 2010   DVDより取り込んだため画像が荒れています。あしからず!
 
 
DVDから取れた唯一の画像です。良い橋だったので、もう一度秋に出も行ってみよう?

2020年6月21日日曜日

136、光禅寺の太鼓橋 

平成22年7月15日、仙台でレンタカーを借りて村山市の幾代橋を見、河北町の開花した紅花畑を訪ね、今夜の宿「蔵王温泉」に向かう前に山形市鉄砲町の「光禅寺」を訪ねました。

明治初期、当時の県令(知事)だった三島通庸が土木建設事業に力を入れたことから山形県内にも多くの石橋が建設されました。三島は薩摩出身だったことから、石橋建設の技術を持つ九州の職人が招聘され、山形県内の石橋の建設と技術指導を行ったようです。今も南陽、上山に残る吉田橋、堅磐橋や楢下の覗橋、新橋など多くの石橋を架橋しました。それら道路用橋の技術は県内の寺社境内の参道にも取り入れられることとなってゆきました。

三島通庸は、福島から米沢に抜ける栗子トンネルの建設なども手掛け、後に福島県令や栃木県令・東京都の5代目の警視総監を務めたことでも知られます。NHK大河ドラマ「いだてん」の三島弥彦は息子になります。

光禅寺は山形市鉄砲町2丁目にある寺で、400年ほど前に山形城主最上義光が設けたといわれています。

136、光禅寺の太鼓橋

架橋:明治12年(1879)「境内の滝から池へと続く流水に架かる参道の橋です」

PhotoRIVHOT Works /15th July 2010
 



 


2020年6月19日金曜日

135、甚五郎橋

令和元年99日、915分に福岡県片縄を出発、385線を南下、北三(ほくさん)ダムを目指します。夏の台風の影響で不通箇所がありましたが、無事到着、「北三少年自然の家」で甚五郎の石橋の場所を確認しました。

嘗て、嘉瀬川の最上流部、支流の古場川の川沿いの道路(湖岸道)に架かっていた橋で、今は嘉瀬川を堰き止めて出来た北三湖のダムサイトのすぐ下に昔のままに古場川は流れ込んでいます。299号線は大回りをして橋の下で湖岸道と合流し、現橋の傍らに廃道として取り残されています。
 
135、甚五郎橋 (佐賀県佐賀市富士町大字藤瀬)
橋長:12メートル
橋幅: 2.5メートル
川名:古場川


photoRIVHOT Works / 9th  Sep, 2019


 
現橋より、黄色のパイプが欄干です。

草が生い茂った、橋の上面です。

 
 
 

2020年6月18日木曜日

134、鍛冶屋中橋

平成28年11月26日、新八代のホテルを8時5分に出発、3号線を北東へ約7km進み、右折443号線に入り約3kmで石匠館に到着、9時の開館まで時間があるので、車をここに止めて、早速石橋を見に行きます。徒歩で北側の車が1台やっと通れるような舗装された道(155号線)を上流に進みます。
 
すぐ右に橋本勘五郎さんの生家の前を通り、墓見ながら昇ってゆきます。歩いて数分で、着いたのが鍛冶屋中橋です。以前にはその手前に鍛冶屋自然石橋が架かっていたそうですが、2007年に流失しています。
橋の架かる小川は、石匠館の下で氷川に合流し約10km流れて八代海にそそぎます。
 
134、鍛冶屋中橋 熊本県八代市東陽町北)
 

橋長:4.36メートル
橋幅:2.67メートル
架橋:文化元年(1804)
石工:藤原林七
川名:氷川支流の谷川に架かる石橋

PhotoRIVHOT Works / 26th Nov, 2016
 
 
 
 


橋本勘五郎さんのお墓

 
 
 
 

2020年6月17日水曜日

133、橋満橋

平成26年11月19日、8時15分に小林のホテルを出発、東方大丸太鼓橋を見た後、その上流3km程に架かる橋満橋を訪ねました。下流から入ったのですが、駐車場から「三之宮峡遊歩道」を川沿いに歩くと距離があるようなので、車で大回りし直接橋まで行くことにしました。売店で道を聞いたところ、車はほとんど入らない道で、荒れているそうです。案内標識を頼りに坂道を下り、更に左下へ下ると橋に出ます。


昭和18年に架橋されていますが、時代は戦争真っ只中、鉄筋が手に入いりにくい時代、石組の上に、竹を使った竹筋コンクリートを用いた大変珍しい橋です
橋の架かる浜ノ瀬川は、下流で岩瀬川と名が変わり、野尻湖を経由し、大淀川に合流、宮崎から日向灘にそそぎます。

133、橋満(はしみつ)橋 (宮崎県小林市大字東方字橋満
橋長:17メートル
橋幅: 4.7メートル
川名:浜之瀬川(岩瀬川上流)
photoRIVHOT Works / 19th Nov, 2014
 
 

 


 

2020年6月15日月曜日

132、間戸水車橋

平成24523日、佐伯のホテルを810分に出発、10号線を西に進み、先ず訪ねたのが仮屋橋でした。10号線を更に進み633号線に右折、北進し204号線に合流、4kmほど進むと臼杵川の大きな橋を渡ると右手に草に埋もれた近戸橋が見えます。今回の目的は更に臼杵川約4km上流の間戸水車橋です。近戸橋から204号線を約少し戻り、八里合神社のところを、左折畑の中を数百メートル走り、路上駐車して下り坂の農道を歩いて行くと、茂みの中にそれらしい橋が木々の間に見えます。ダムの水がここまで来ており、河原には降りられませんでした。橋も通行禁止で近寄ることも出来ませんでした。
 
132、間戸水車橋 大分県臼杵市野津町八里合 田の平)

橋長:23メートル
橋幅: 4メートル
架設:嘉永3(1850)8
川名:臼杵川

PhotoRIVHOT Works /23th May, 2012
 
 


 
 

2020年6月14日日曜日

131、東口橋

平成25年11月16日、ETC早朝割引のある時間5時38分に自宅を出発、圏央道の相模原愛川Icを5時54分に通過、東名~北陸道を経由して石川県小松市の滝ヶ原に着いたのが13時40分、四つの石橋を見たあと訪ねたのは、最後に宇谷川最上流に架かる東口橋です。
近くに石材屋さんもありました。

131、東口橋 (石川県小松市滝ヶ原町)
 
橋長:9メートル
橋幅:2.5メートル
架橋:明治36年(1903
川名:宇谷川

PhotoRIVHOT Works / 16th  Nov, 2013
 
 
 
 
 
 

2020年6月13日土曜日

130、幾代橋

平成22年7月15日、早朝に自宅を出発、東北新幹線で仙台に、レンタカーを借りて、東北自動車道を南進、村田Jctで山形自動車道へ西進、山形Jctで東北中央道へ北進、東根Icで降りたら287号線を西へ、谷地の信号を右折347号線を北上2.5kmほど先、改目左折299号線北上、約6kmで岩野地区に入る、千座川手前を「葉山大円院」方向に左折、約1km先に架かる橋が幾代橋です。

熊野神社の案内板「岩野の石橋」には、『千座川橋無ク、石ヲ踏ミ徒歩ク、淫雨一タビ至レバ則チ人行全ク絶ユ、是ニ新道開削之議有リ。(明治)二十一年十一月起工、翌年八月成ル。--川ニ則チ架橋シ--』と書かれています。
当初、橋の路面は、板張りだったそうで、後にコンクリートに張り替えてあります。


130、幾代橋 (山形県村山市岩野)
橋長:4間半(8.2メートル)
橋幅:8尺(2.4メートル)
架橋:明治22年(1889
石工:渡辺源太郎
川名:千座川
PhotoRIVHOT Works /15th July, 2010   DVDより取り込んだため画像が荒れています。あしからず!
 




7月は草木が生い茂り撮影には最悪です。



2020年6月12日金曜日

129、丸竹橋

平成25年11月16日、自宅を5時38分に出発、小松市滝ヶ原地区に着いたのが13時40分ころ、この地区の五つの橋を見て回ります。
現在の丸竹橋の下流側に白っぽくて大きな丸竹橋が架かります。現橋が出来てから車両の通行は禁止で歩道橋として保存されています。

29、丸竹橋 (石川県小松市滝ヶ原町)
 
橋長:14.3メートル
橋幅: 4.2メートル
架橋:昭和10年(1935
川名:宇谷川

PhotoRIVHOT Works / 16th Nov, 2013  DVDより取り込んだため画像が荒れています。あしからず!

 
 

 
 

 

 



154、菅野尾橋

しばらく、投稿をご無沙汰してしまいました。 平成26年11月17日、昨日は愛媛の佐多岬、三崎港からフェリーで17時頃に大分県の佐賀関港に上陸、大分で泊まりました。 この日は8時10分に大分のホテルを出発、竹田(たけた)市、豊後大野市の石橋を見ながら、8号線を南下、宮崎の高千...